もうすぐクリスマス! 宗教に関係なく、クリスマスと聞くと、「教会」を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。カトリックの修道院が、フランスのワイン造りにどれほど深くかかわってきたのか、クリスマスを前にひも解いてみましょう。
キリスト教に欠かせない「ワイン」の存在
修道院に起源を持つフランスワインは、欧州各国でも群を抜いて多く、109に上るそうです*1)。その中心になったのが、クリュニー会とシトー会、そしてその従属修道院です。6世紀に「祈り、働け」もモットーに、清貧の精神で聖ベネディクトゥスがベネディクト会を起こします。しかし、どうしても時と共に厳しい規律はゆるんでしまうもの。そこで聖ベネディクトゥスの精神に立ち戻ろうとしたのが、909年にブルゴーニュ地方のマコンの近くに設立されたクリュニー修道院です。その精神をさらに昇華させようと結成されたのがシトー会で、その修道院は1098年、やはりブルゴーニュ地方のディジョンの近くに設立されました。
清貧の精神に立ち戻ろうとする二つの修道院は、たちまち王侯貴族や有力者の支持を得て、ぶどう畑などの寄贈を受け、最も力を持つ修道院となっていったのです。修道士も増えたので、言ってみれば「のれんわけ」のような形で、十数人が一つのグループで、母体となる修道院を出て、違う場所で修道院をつくっていきました。これにより、ぶどう栽培や農業技術も拡散していったのです。例えば、シャブリのぶどう栽培を発展させたのは、シャブリの村にほど近いところに建てられたシトー会のポンティニー修道院です。
なぜ修道院は、躍起になってワインを造ったのでしょうか? カトリックでは、パンとワインはとても大切です。最後の晩餐で、イエス・キリストが、「これは私の体である」として、弟子にパンを分け与え、「これは私の血である」として、ワインを分け与えました。このため、カトリックの典礼(祭儀)であるミサでは、ワインは欠かせないものになったのです。さらに中世の時代、修道院は、巡礼者の宿泊場所でもあり貧しい人や病気の人を受け入れる場所でもあったので、おもてなしのためにも必要でした。そして、クリュニーでもシトーでも自給自足を旨としていましたから、自分たちの日々の食事のためにも必要だったのです。
修道院が発展させたワイン
修道院がかかわったぶどう畑の代表例はブルゴーニュ地方に多く見られます。著名なグラン・クリュでいえば、「シャンベルタン・クロ・ド・べーズ」は、ベーズ修道院が寄贈を受けた土地です。この修道院の設立は630年頃と、クリュニーやシトー会が出現するずいぶん前のことで、両者とは関係がありません。「クロ・ド・タール」は、シトー会初の女子修道院であるタール修道院の所有でした。「ロマネ・サン・ヴィヴァン」は、クリュニー会の傘下となったヴェルジィのサン・ヴィヴァン修道院が寄贈を受けたものです。この修道院は、現在のロマネ・コンティなども所有していた修道院でした。「クロ・ド・ヴージョ」は、創設されたばかりのシトー会が深くかかわり、ワインの貯蔵庫や修道士の寝室となるようにと建てられたのが、現在、シュヴァリエ・ド・タストヴァン(利き酒騎士団)の会合が行われているシャトー・クロ・ド・ヴージョです。
ブルゴーニュ以外でも、修道院と密接な関係を持つフランスワインは、数え上げると切りがありません。ロワール地方の「サヴニエール・ラ・ロッシュ・オー・モワンヌ」の「モワンヌ」は、フランス語で修道士の意味で、サン・ニコラ・ダンジェ修道院が、この土地の寄贈を受けた後、このように呼ばれるようになりました。この修道院がぶどう畑を発展させていったのです。ローヌ地方の「コルナス」は、近郊のソワイヨンのベネディクト会の修道院によりぶどう畑が発展しました。ワインのみならず、リキュールも影響を受けています。「シャルトルーズ」は、同地を本拠とするカルトジオ会のグランド・シャルトルーズ修道院の手によるものです。
クリスマスは、本来はイエス・キリストのお誕生日なので、修道院が丹精を込めて育んだワインを手に取られてみてはいかがでしょうか。
*1) ジルベール・ガリエ著,八木尚子訳(2004) 『ワインの文化史』,筑摩書房.p.52.
l'abbaye bénédictine de Soyons"
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ワインジャーナリスト