フランス語のコンフィズリーとは、キャンディ、ボンボン、キャラメルなど砂糖菓子の総称です。フランス菓子の素材として砂糖は欠かせません。最近は甘さ控え目になってきているとは言え、やはり甘いです。あるシェフは、「砂糖の量は減らさない。」と言い切っています。フランス人が甘さを執着するのには、実はわけがあるのです。
そもそも砂糖が作られる砂糖きびは、東南アジアで発見され、イスラム教を普及していたアラブ人が持ち帰り、地中海で栽培を始めました。それに目をつけたのがイタリア商人。フランスに砂糖菓子を伝えたのは、その中の一族、1533年にアンリ二世に嫁いだメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスです。
一方、日本に砂糖菓子がもたらされたのもフランスと同時期です。 1543年ポルトガル人が種子島に上陸。その際にカステラ、ボウロ、コンペイトなどが伝えられました。まだ日本で砂糖が栽培されていない頃ですから、日本人はさぞその甘味に驚いたことでしょう!日本の砂糖栽培は、17~18世紀にはじまりました。中国の福建省からサトウキビが伝わり、奄美大島で栽培されるようになったのです。
当時、植民地のさとうきびプランテーションで奴隷を働かせ、砂糖の三角貿易で巨大な富を得ていたポルトガルに続いたのがオランダ、その後はイギリス、そしてフランスなども同様に砂糖栽培に乗り出します。砂糖を制するはヨーロッパを制すると言われたくらいに人々はその甘い商品に熱狂しました。
しかし当初、砂糖は高価なもので王侯貴族しか手にはいらないものでした。また薬としても扱われており、カトリーヌ・ド・メディシスは、医者でもあった大預言者、ノストラダムスを呼び寄せ、砂糖の研究をさせており、ノストルダムスは砂糖に関する本も出版しています。
三角貿易で量産されるようになった砂糖がやっと庶民の手に入るようになったのは、18世紀です。コーヒーや紅茶が好まれるようになり、パティスリーも出来、砂糖の使用も増えていきました。パティシエの「砂糖の量は減らさない」という言葉はそんな歴史を背負う砂糖への熱いメッセージだったのです。
大森由紀子
フランス菓子・料理研究家。フランス全土を周り食文化と歴史を研究し、メディアや書籍を通して日本に紹介。近著「フランス郷土料理と地方菓子の事典」。
フランス菓子と料理の教室《エートル・パティス・キュイジーヌ》主宰
Colaborador
フランス菓子・料理研究家