フランス料理をおいしく、楽しく
追い求めていたのは、おいしく、楽しくフランス料理を味わう家族の情景
タサン志麻さんは、大阪あべの・辻調理師専門学校、同グループ・フランス校を卒業し、三ツ星レストランでの研修を経て帰国、老舗フランス料理店などで10年以上働き、その後、料理人ではなく家政婦として料理を作ることを仕事とされるようになります。現在はTV雑誌など様々な媒体で家庭でもできるフランス料理を広めることを提唱、活躍されています。タサン志麻さんに、フランス料理など料理に対するお考えをお聞きしました。
辻調のフランス校を出て、フランスのレストランでも研修をし、帰国後は高級なレストランで働くようになりました。でも、就職活動をしている時から何か違和感があって、私がフランスでフランス料理に感じたこととレストランで働くということが何か違うな、という感じがあって、その頃はそれをハッキリと言葉にはできなかったのです。何かよく分からなかったのですが、スッキリしないまま働くのもどうかと、最初の店を辞めて、アルバイトなどをしながら暮らしました。でもフランス料理は好きなので、次にビストロで働き、そこでは、10年ぐらい働きました。その店は大好きで、楽しかったのですが、何かが違うという感じがなくならず、それで悩んで、追い詰められるようにその店も辞めてしまいました。
今から考えれば、違和感があったのは、フランス料理の敷居の高さだったのだと思います。フランス料理店は、私の両親、友達や若い人たちが気軽に食べに来れる空気感ではありませんでした。ビストロでも働きましたが、そこでも、お客さんは、フランスに関心のある人などで、日本の田舎のお年寄りや子供が気軽に食べに来るところではありませんでした。店の雰囲気は気軽で、価格が安くても、やっぱり敷居は高い。私が考えていたフランスの食事のシーンは、レストランではなく、家庭の食卓で、ずっと楽しく話をしながら食事をするというイメージでした。そういうところに引かれてフランス料理を始めたのに、レストランで仕事をしていると、どうしても何か違う、違和感が拭いきれなかったのです。
とはいっても、フランス語の勉強などに使ってしまい、貯金もありません。フランスの家庭料理を知りたくて、フランスを旅して、お婆さんなどからも料理を教わりたかったので、フランス人がたくさんいるお店でバイトしたら、いろいろとコネクションもできて、フランスに行ったら泊めてもらえるかなとか、思い描いていました。
そのバイト先で彼と出会って結婚することになって、仕事をしなければいけないと思いましたが、その時はレストランという選択肢はありませんでした。ただフランスの文化や料理から離れたくはなかった。レストランは労働時間が長いし、勉強ができません。そこでフランス人のベビーシッターをしようと考えました。探しているとフランス人の家庭でベビーシッターや家政婦ができるかもしれない、という仕事を紹介するサイトがあって、そこで家政婦をするようになりました。結局、日本人のお客さんばかりでフランス人はいなかったのですが、1年ぐらいしたら、料理だけでリピートしてくれる人が出てきて、そういう人たちが、特に何も考えずにフランス料理を自然に食べてくれるのが、すごく嬉しくて、お母さんと子供とお婆さんと、家族皆で席について、楽しくフランス料理を食べてくれる。子供も箸を使っても構わない。その時に初めて、私はこういう料理が作りたかったのだと思えるようになったのです。そしてやっと、レストランを辞めて良かったと思えました。
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